ぺんぺん草の桜。 ハルジオンの花言葉と由来・貧乏草と言われる理由を紹介!

ぺんぺん草も満開!

ぺんぺん草の桜

2020. 1 第30回:ぺんぺん草にも花はある〜ナズナからのエール ぺんぺん草は生命力が旺盛で、空き地や道端、畑など至る所で成長します。 そこから「ぺんぺん草が生える」(荒れ果てた地の様子)、「ぺんぺん草も生えない」(何も残っていない状態)という慣用句が生まれました。 ぺんぺん草はナズナの異名 恥ずかしい話ですが、そのぺんぺん草とナズナが同じであることは長い間、知りませんでした。 雑草の代表のようなぺんぺん草と春の七草の一つであるナズナのイメージが違うので、別の植物と思い込んでいたのです。 先月7日にスーパーで「春の七草セット」を買って、七草がゆを作りました。 セットの袋には「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」の名前が写真とともに印刷されていました。 ナズナの代わりに「ぺんぺん草」と書かれていたら、「えっ、これを食べるの?」と思ったかもしれません。 小さな、白い、地味な花 「花コラムなのに草の話?」と思われるかもしれませんが、ナズナも花をつけるのです。 2月から6月にかけて、直径3mmほどの白い花を咲かせます。 名前のいわれは、夏になると枯れて無くなることから「夏無(なつな)」、それが変化して「ナズナ」になったと言われています。 また「撫でたいほどかわいい菜」ということで「撫菜(なでな)」が変化したという説もあります。 七草セットの袋には、「(ナズナは)撫でて汚れを取り除くという意味があると言われています」と書いてありました。 果実(写真左)の形が三味線のバチ(写真右)に似ていることから、「三味線草」の異名が生まれ、さらに三味線の擬音語に草を付けて「ぺんぺん草」と呼ばれるようになりました。 羊飼いの財布は見たことがありませんが、三味線のバチと同じような形をしているのでしょう。 所変われば、連想するものも変わってきます。 ナズナを「貧乏草」と呼ぶ地方もあります。 繁殖力が強いナズナの種子は風に吹かれて飛び、昔は茅葺きの屋根の上で芽吹くことがありました。 ナズナは屋根の手入れが行き届かない貧しい家の屋根に生えるということが、名前の由来だそうです。 よく見ればなずな花咲く垣根かな こう書いてくると、「ぺんぺん草」や「貧乏草」には、余り良いイメージは湧いてきませんが、芭蕉は『よく見ればなずな花咲く垣根かな』と詠んでいます。 ナズナがつけるのは、桜の花とは比べるべくもない、華やかさのない、小さな花です。 それでも、目立たない野の草は野の草なりに懸命に生きている。 その姿に芭蕉は感銘を受けて詠んだのではないでしょうか。 精一杯生きよう 事故で頸椎を損傷して手足の自由を失い、口に筆をくわえて詩画や随筆を創作している星野富弘氏はぺんぺん草を見て、次の詩を詠みました。 事故に遭ってから9年後、33歳の時の作品です。 (詩画は参考図書「詩画とともに生きる」から転載) 神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れるぺんぺん草の 実を見ていたら そんな日が本当に 来るような気がした 人は人、自分は自分。 自分なりに、精一杯生きよう! ナズナは私たちにエールを送ってくれているようです。 各商品ページをご覧ください。 誠に恐縮ですが、遅延に関しましては、当店・運送会社では責任を負いかねます。 その場合、ご用意可能な別商品をご提案致します。 以下の場合、お付け頂けます。 ・自社便可能エリア:すべての商品 ・全国全てのエリア:18500円以下の胡蝶蘭、洋蘭。 10000円以下の観葉植物。

次の

ハルジオンの花言葉と由来・貧乏草と言われる理由を紹介!

ぺんぺん草の桜

第9交響曲の9年前の録画を先ほどTVで見た。 震災復興祈念としてズビン・メータが指揮したもので、これを当時筆者は見たが、今回はより感動が大きかった。 特に第4楽章では家内に悟られないように何度も瞳を潤ませた。 今日はその話をしようと思いながら、投稿のために用意している10数枚の写真のどれもが文章内容とあまりにちぐはぐになる気がしていて、支離滅裂を書いてしまいそうだ。 それはさておき、ここ数日で映画を何本か見たのでブログのネタには困らないが、考えをまとめる必要上、投稿はずっと先になるかもしれない。 昨日家内は筆者のことを考え事が多くて大変だと言った。 家内と終日一緒にいてもしばしば筆者は空を見て家内の話を聞いていないことがあり、確かに常に何かを考えている。 それは筆者の場合、いつもぼんやりしていることと同義で、その思いの混沌状態をブログの投稿に毎日それなりに形にせねばならず、それが時にしんどいながらもやはり好きであることを昨日家内に言い返した。 その時に持ち出した例がストラヴィンスキーが毎日数小節、五線紙を手描きして作曲した事実だ。 その日常の中から作品が形となって浮上した。 同じことはベートーヴェンも言えるはずだ。 創作家すべてがそうだと言ってよく、逆に言えば毎日わずかでも創作しない人は優れた作品を生み得ない。 はははは、書き始めれば興に乗ったかのようにどんどん進む。 とはいえ、筆者のブログはのようなものだ。 ほとんど誰も気づかず、ただそこらに生えているだけのようなものだ。 さて、6日の昼下がりに鵜屋の写真を撮りに中ノ島公園に出かけた際、現在休業中の「風風の湯」の前の林に幾組かの家族連れがくつろいでいて、少女が大きなシャボン玉を作って飛ばしていた。 卓球のラケット大の青いプラスティックのシャボン玉製造器を、地面に置いた石鹸水を入れた青くて平たい容器に漬けては振っていたが、大半のシャボン玉は鈴なりにくっついてあまりきれいではなかった。 ただし、少女の仕草が絵になっていた。 その様子を撮影しようかと思いながら、見知らぬ爺では不審者に間違われる。 それでいわば仕方なしに彼女が立つクローバーが繁茂する林を横切って家に戻る際に今日の写真を撮った。 見えにくいが、クローバーの手前にぺんぺん草が生えている。 写真を撮ってすぐ、しゃがんで四つ葉のクローバーを探したが、少女の気が散りそうな気がして数十秒でやめた。 四つ葉のクローバーは踏みつけられた幼葉がそうなりやすいとのことなので、桜の林にはたぶんあるだろう。 何だか急に興が削がれて文字どおりどうでもいいぺんぺん草を書いている。 四つ葉のクローバーを見つけていれば違ったか。 クローバーの写真を撮ったのは、からだ。 トランプの「クラブ」の三つ葉のクローバーは地味ながら形がよい。 それが四つ葉では面白くない。 今朝は中学生の同級生の女子の面影を思い出した。 それについては明日に回すとして、話を第9交響曲の放送に戻す。 指揮者のメータの表情が険しかったのはあたりまえとして、大地震でフィレンツェ・オペラの来日公演のすべてがこなせられなくなり、メータは急遽ベートーヴェンのこの曲を採り上げることにした。 この曲を若いワグナーが愛し、とことん研究したことはよく知られるが、レコードが発明されてから誰でも気軽に楽しめるようになったとはいえ、生演奏に接する人はクラシック音楽ファンでも少数派であろう。 新コロ禍によって人と人との生の接触が禁忌され、ネットを介しての対話や作品鑑賞が増す気配にあるが、生での接触と違って映像には撮影者の意図が混じっている。 指揮者や各演奏者の顔のクローズアップは生演奏の会場にいてはわからず、TVは生演奏よりもいいと考える人があろうが、遠目にわからない演奏者の顔が赤裸々に見えることはよけいな情報の提供であり、時に邪魔なものだ。 そうした映像はベートーヴェンの意図とはほとんど無関係なものだ。 ベートーヴェンは作品として楽譜に書いた。 その楽譜にいろいろ版があるとしても、録音のみがいわばベートーヴェンの脳裏に響いていた音楽の体現で、生演奏の録画はベートーヴェンの想像を超えたものが入り込んでいる。 そうであっても先ほどの演奏が感動的であったことは、楽譜には記されない指揮者や演奏者、演奏場所、録画やその編集といったことが、この曲の意図することから外れないどころか、拡大的に体現しているからだ。 またシラーの詩「歓喜に寄す」を旋律にどのように組み込もうとしたかのベートーヴェンの腐心とその苦しみゆえの歓喜を筆者は感じながら聴いたが、新たな創作への意気込みがベートーヴェンの人生の原動力であったことは、おそらく同じように作品を常に構想し、また製作している人にしかわからない。 一方で思うことは、映像を伴なう音楽が作品となる場合、たとえばYouTubeでは創作家はベートーヴェンよりもはるかに多くの事象に携わる必要があり、それはよほどの才能がなければ無理という現実だ。 つまり、YouTubeにはろくなものがなく、ベートーヴェンの第9交響曲並みに人類の財産と呼ばれるほどのYouTube映像はあり得ない。 先日も書いたが、何かを形として発表することは、そのどの細部においても製作者の美意識が認められるべきで、その観点からは、震災復興祈念のメータによる第9の映像は顔の彫りの深いメータは別として、各演奏者の表情は平凡な庶民を感じさせることがままあり、それがまた却ってクラシック音楽を身近なものに感じさせた。 管弦楽曲の場合、作曲者、指揮者、演奏者の順でアウラが減少してあたりまえで、さらには演奏者の下位にぺんぺん草的凡人の聴き手がいると書きたいところだが、シャボン玉のような意見と思ってほしい。

次の

さえ

ぺんぺん草の桜

MG撮影の写真なので判らないのですが ペンペン草(薺の花)のように見えるのですが ちょっと早すぎるような気がします 今年は暖冬で早いのかも知れませんね ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 響子さんと都さんがまた来てくれました なんと楽しいおしゃべりでしょう お昼は響子さんお手製の蕨の炊き込みご飯でした お陰で一足早い春を味わいました 『小句会』 『恋の猫』 恋猫。 猫の妻。 春の猫。 浮かれ猫。 恋猫の塀に構へて声張れり・・・都 恋猫を吠え立ててゐる座敷犬・・・響子 石窪の水舐めている春の猫 ・・・揚雲雀 『如月きさらぎ』 二月の異称。 陽暦のほぼ三月にあたる。 梅見月。 初花月。 雪解月。 木の芽月。 如月や屋根に石置く浜番屋 ・・・・響子 如月の空に解け行く飛行雲 ・・・ 都 如月や大石据うる造園士 ・・・・揚雲雀 『雀隠れ』 若草が雀が隠れるほどに伸びた景。 子の駈ける雀隠れや触れ太鼓 ・・・都 微風や雀隠れに稚立たす ・・・・響子 円墳の雀隠れに幣たてり ・・・・揚雲雀 『桜餅』 桜の葉で包んだ餅菓子。 東京・向島の長命寺畔の茶店の名物。 桜餅手荷物多き産見舞 ・・・・・・響子 植木屋の妻手作りの桜餅・・・・・・都 松籟の勿来の関や桜餅 ・・・・・揚雲雀 『花菜漬はななづけ』 油菜の蕾が黄色くなったころ摘みとって浅漬けにしたもの。 菜の花漬。 掌に受けて蕾ばかりや花菜漬・・・・都 突き出しに志野の小鉢の花菜漬・・・響子 御詠歌の稽古休みや花菜漬・・・・・揚雲雀 『黄水仙』 南欧原産で、花茎に二、三個の鮮黄色の花を開く 黄水仙活けて夫の忌を修す ・・・・都 雨雫ときをり受けて黄水仙 ・・・響子 貝殻で囲む花壇や黄水仙 ・・・・揚雲雀.

次の