ミスティック リバー ネタバレ。 「なぜデイブが疑われたのか?(ネタバレ)」ミスティック・リバー

ミスティックリバーのネタバレとあらすじ!犯人や評価は?徹底解説

ミスティック リバー ネタバレ

あらすじ 幼なじみの3人の少年は、ひとりが誘拐事件に遭ったことから、次第に離れていくことになる。 だが、25年後、彼らは殺人事件を契機に再会する。 ひとりは被害者の父、ひとりは容疑者、ひとりは刑事として。 の同名ベストセラー小説を「」の名手ブライアン・ヘレゲランドが脚本化。 撮影は組、「」などの照明を経て「ブラッドワーク」を撮影したトム・スターン。 ネタバレ感想 序盤で3人の少年たちがホッケーで遊んでる中、下水に落ちてしまったボールをのぞき込むシーンでいつピエロが出てくるのか別の意味でドキドキしました。 子供時代のショーンを演じてる子役の少年がのエリックをそのままキュッと小さくした感じの可愛らしさで調べてみるとやはりコナー・パオロでしたね。 あんな小さい頃から子役していたとは。 子供時代、ジミー・ショーン・デイブの三人は幼馴染で仲良く遊ぶ仲だったが、ある日警察官を装った二人組の男にデイブが誘拐・監禁され性的暴行を受けるが、なんとか自力で逃げ出してきたものの、その事件をきっかけに三人はどんどん疎遠になっていく。 幼かった彼らが大人になり、ジミーの娘ケイが殺害された事件をきっかけに彼ら三人は再会することとなる。 刑事になったショーンは事件を担当し、ケイが殺された夜、バーでケイを見かけているデイブは容疑者として疑われる。 デイブはバーから自宅に戻った際血塗れになっており、妻に強盗に襲われたが反撃し、殺してしまったかもしれないと話す。 血塗れで帰ってきて病院に行く事を拒み、どこか様子のおかしいデイブに、怪しいけれど違うだろう、違うだろうけれど怪しい…と繰り返し思わせられる。 その後真相が明るみになってくればくるほど、娘を奪われ憎悪に支配されたジミーに対して早まるな、早まるな…と念ずるもデイブはジミーの復讐心によって始末されてしまう。 しかしその翌日、訪ねてきたショーンに犯人を逮捕したと告げられるのだ。 最初の通報の「彼女の名前?」というキーワードは知り合いだからこその問いかけに感じて違和感があったのでブレンダンが怪しいのかと思っていましたが完全に騙されました。 ケイ殺害の真犯人は、ケイの恋人であるブレンダンの弟レイと友人のジョンだったという。 口がきけなく手話でコミュニケーションをとるあたかも善良そうな少年がまさかの当事者で、恋人を失い途方に暮れる兄ブレンダンに、罪の意識の素振りも見せず接していた事実に衝撃を受けました。 ブレンダンが全てを悟り、レイにお前ほんとは喋れるんだろと詰め寄るシーンがありましたが、あの通報の声はレイだったのでしょうか?友人のジョンという可能性もありますが、個人的にはあれはレイの声でますます胸糞展開だと思っています。 レイの父親であるレイ(ややこしい)はジミーと因縁があるというのも根深さを感じさせます。 デイブも実際に人を殺めてしまってはいるんですが、その背景に子供時代の誘拐・暴行のトラウマがあり、子供性愛者から少年を助けるために犯罪行為をしていた男を殴り続けたという悲しい事実。 また、デイブだけではなく三人のうち一人だけが犠牲になったという事実が、残りの二人にも罪悪感を生ませ、三様の心の傷を抱えているのです。 もし連れ去られたのがデイブじゃなければ、もしあの夜バーに居たのがデイブじゃなければ、もし、、もし、、、となります。 歯車がどれか一つでも、わずかに違っていれば起こりえなかったなんともやるせなさが残る結末でした。 評価 平均点高めの設定です。 俳優陣の演技が素晴らしく、感情の濃さがダイレクトに伝わってくるが故に鑑賞後は虚しくなる作品ですので心に余裕のある時に観ることをおすすめします。 概要 監督: 時間:2時間18分 配給:Entertainment Inc. 公開年:2004年.

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映画『ミスティック・リバー』の解説(ネタバレ有)分裂した物語をつなぎとめた一つの「裏」|kurashicreate

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あらすじ 幼なじみの3人の少年は、ひとりが誘拐事件に遭ったことから、次第に離れていくことになる。 だが、25年後、彼らは殺人事件を契機に再会する。 ひとりは被害者の父、ひとりは容疑者、ひとりは刑事として。 の同名ベストセラー小説を「」の名手ブライアン・ヘレゲランドが脚本化。 撮影は組、「」などの照明を経て「ブラッドワーク」を撮影したトム・スターン。 ネタバレ感想 序盤で3人の少年たちがホッケーで遊んでる中、下水に落ちてしまったボールをのぞき込むシーンでいつピエロが出てくるのか別の意味でドキドキしました。 子供時代のショーンを演じてる子役の少年がのエリックをそのままキュッと小さくした感じの可愛らしさで調べてみるとやはりコナー・パオロでしたね。 あんな小さい頃から子役していたとは。 子供時代、ジミー・ショーン・デイブの三人は幼馴染で仲良く遊ぶ仲だったが、ある日警察官を装った二人組の男にデイブが誘拐・監禁され性的暴行を受けるが、なんとか自力で逃げ出してきたものの、その事件をきっかけに三人はどんどん疎遠になっていく。 幼かった彼らが大人になり、ジミーの娘ケイが殺害された事件をきっかけに彼ら三人は再会することとなる。 刑事になったショーンは事件を担当し、ケイが殺された夜、バーでケイを見かけているデイブは容疑者として疑われる。 デイブはバーから自宅に戻った際血塗れになっており、妻に強盗に襲われたが反撃し、殺してしまったかもしれないと話す。 血塗れで帰ってきて病院に行く事を拒み、どこか様子のおかしいデイブに、怪しいけれど違うだろう、違うだろうけれど怪しい…と繰り返し思わせられる。 その後真相が明るみになってくればくるほど、娘を奪われ憎悪に支配されたジミーに対して早まるな、早まるな…と念ずるもデイブはジミーの復讐心によって始末されてしまう。 しかしその翌日、訪ねてきたショーンに犯人を逮捕したと告げられるのだ。 最初の通報の「彼女の名前?」というキーワードは知り合いだからこその問いかけに感じて違和感があったのでブレンダンが怪しいのかと思っていましたが完全に騙されました。 ケイ殺害の真犯人は、ケイの恋人であるブレンダンの弟レイと友人のジョンだったという。 口がきけなく手話でコミュニケーションをとるあたかも善良そうな少年がまさかの当事者で、恋人を失い途方に暮れる兄ブレンダンに、罪の意識の素振りも見せず接していた事実に衝撃を受けました。 ブレンダンが全てを悟り、レイにお前ほんとは喋れるんだろと詰め寄るシーンがありましたが、あの通報の声はレイだったのでしょうか?友人のジョンという可能性もありますが、個人的にはあれはレイの声でますます胸糞展開だと思っています。 レイの父親であるレイ(ややこしい)はジミーと因縁があるというのも根深さを感じさせます。 デイブも実際に人を殺めてしまってはいるんですが、その背景に子供時代の誘拐・暴行のトラウマがあり、子供性愛者から少年を助けるために犯罪行為をしていた男を殴り続けたという悲しい事実。 また、デイブだけではなく三人のうち一人だけが犠牲になったという事実が、残りの二人にも罪悪感を生ませ、三様の心の傷を抱えているのです。 もし連れ去られたのがデイブじゃなければ、もしあの夜バーに居たのがデイブじゃなければ、もし、、もし、、、となります。 歯車がどれか一つでも、わずかに違っていれば起こりえなかったなんともやるせなさが残る結末でした。 評価 平均点高めの設定です。 俳優陣の演技が素晴らしく、感情の濃さがダイレクトに伝わってくるが故に鑑賞後は虚しくなる作品ですので心に余裕のある時に観ることをおすすめします。 概要 監督: 時間:2時間18分 配給:Entertainment Inc. 公開年:2004年.

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【映画】『ミスティックリバー』のネタバレなしのあらすじと無料で観れる方法の紹介

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せりふやシーンのすみずみまですべてを記憶しているわけではないので、間違いがありましたらぜひご指摘くださいませ。 デイブが子供時代に事件に巻き込まれて悲惨な目にあったことは、街に昔から住む誰もが知っています。 デイブがその悲劇を乗り越えてハイスクールでは野球選手として活躍し、貧しくても堅実な家庭を築いて、ひとり息子のよき父親であることも皆知っています。 乗り越えはしたものの、何かを諦めたようなうつろな目をして、悄然とした背中を見せていることも。 こんなデイブが、なぜ今さらジミーの娘を殺さねばならないのか? 警察はともかく、妻のセレステやジミーが彼を疑う理由が私にはさっぱりわかりません。 「デイブがケイティーを殺したと思われても仕方ない」描写が、状況証拠(深夜の血まみれ帰宅)以外に何かあったでしょうか? 例えば、トラウマに苦しめられているデイブが、時折何かの拍子にタガが外れて前後不覚の大暴れをやらかすとか、素行の悪い若者どもに普段から異様な憎しみのまなざしを向けているとか、何でもいいんです。 デイブの「現在の日常」の中に疑われるに足る伏線が必要ではないでしょうか? 身近な人々が直感的に「もしかして?!」と疑わずにいられないような「心証」がない限り、いくら挙動不審だからといって、25年前のトラウマがあるからといって、そのせいでジミーを恨んでいる可能性があるからといって、あの優しくて無気力なお父さんが近所の女の子を突然殺しちゃうなんて、短絡的に結びつくものじゃないと思うのだけれど、いかがでしょう? そうそう、拳銃の問題もあります。 ケイティーは銃殺されてます。 もしも彼女がレイプされていたり、遺体を異常な形で傷められたりしていたのなら、「もしかしてアイツが?」と街の人が疑ってもしかたないかもね。 しかし彼女は顔見知りの者に、いきあたりばったりのような形で銃殺された。 となると、凶器はどこから出てきたのか? 真犯人の追及も、この銃が決め手となりましたよね。 だけどデイブの周辺には銃の影がみじんも見えません。 ここらへん、もしかしたら私の記憶違いかもしれませんが、デイブが銃を持っているという描写はどこにもなかったですよね? ケイティーが護身用に隠し持っている、なんて伏線もなかったし。 デイブの生活環境および性格の描写を見ると、彼が簡単に銃を調達できるような人間とはどうしても思えません。 しかもあの街の裏社会はジミーが仕切っているのです。 デイブと銃を結びつけるものが何もない(と思われる)のに、なぜセレステやジミーは彼がケイティーを銃殺したと信じられるのでしょう? そもそもセレステの行動が私にはどうにもこうにも不可解でしてね。 私がセレステの立場に立って夫を疑ったとしたら、その疑惑を打ち明ける相手は警察であって、断じて被害者の父親なんかじゃない。 打ち明けるどころか、被害者の遺族に近づくことさえ恐ろしくなるものじゃないでしょうか。 何らかの理由があって警察に口をつぐんだとするならば、私だったら子供をつれて雲隠れしますよ。 彼女は殺人犯かもしれない夫を、裏の力のあるジミーに隠密裏に消してほしかったんだろうか? ならば、もう少し彼女のしたたかさを綿密に描いてもらわないと説得力に乏しい。 ローラ・リニーはマクベス夫人ばりのラストシーンに至る前にも、なんとなく腹に一物ありそうな雰囲気をただよわせていましたが、マーシャ・ゲイ・ハーデンにはそういう感じはなく、セレステの苦悩はよく表現できていたけれど、夫を裏切るに至る心の動きが私には納得できなくて、いまいち高く評価する気になれないのです。 だいたい彼女はデイブの過去をどれほど知っていたのか? デイブ本人が妻に話していなかったことは確かですが、街のみんなが知っていることを全然察することもできないなんてこと、あるだろうか? 察していて、そのことをきちんと話してくれない夫にもともと不信感を持っていたのかな。 だったらそういう描写を映画の前半部分にさりげなく仕込んでおく必要があると思うのですがね。 まったく知らなかったのだとすると、なおさら彼女が夫を疑う理由がわからない。 ほかにもデイブ周辺の描き方についてもの足りない部分があるのですが、事件の核心に関係する私の疑問は以上です。 本篇を見て数日間気分が晴れなかったのですが、ようやく口直しが効いて、ここを開いても平常で居られるようになりました。 (ちょっと大げさ) さて、スレッドの趣旨に外れていますが・・・、 デイブがホラーのビデオを見るシーン、少年期の事件のトラウマをわざわざぶり返すようなことをするのでしょうか? 私はここを開くたびに前頭葉が熱くなる思いがしたのに。 それそれ、気分が悪くなるのにここを見ようとする貴方の心理と同じですよ、と言われるかも知れませんが。 デイブの異常心理を描く演出として適切だったとは思いません。 デイブに対する夫人の受け止め様の説明だと解釈しますが、逆に、あのようなビデオに過剰反応する方が解りやすいと思いました。 現に、デイブのあの夜の行為はそこから出たものだったのではありませんか。 とはいうものの、記憶は不確かです。 もう見たくない!!• デイブが貧しい家の子だとわかった犯人はデイブをさらうことにします。 (犯人は何故上流階級のジミーをさらうことを避けたのか、その理由はよくわかりませんが。 たぶん貧しい家の子のデイブのほうがめんどうな事になりにくいということなのかもしれません。 )デイブからすれば貧富の差が逆だったならさらわれたのは自分ではなかっただろうという、ジミーに対して一種の逆恨みをもっているのではないだろうかと自分は劇場で思いました。 それがデイブが疑われるに値する描写なのかと考えましたが、考えすぎですかねー。 拳銃の問題は僕も記憶が定かではありませんが、只のレイが昔襲った酒屋とデイブになんか関連がありませんでしたっけ?その酒屋で働いていたことがあったようななかったような…• よろしくお願いします。 >jagarさん。 デイブだけがさらわれたのは、単に彼だけが車に乗ったからだと思っていました……ジミーとショーンは家があの通りにあって、別段車に乗る理由もなかったし。。。 デイブだけちょっと離れたところに住んでいたってことの原因が、たまたま貧富の差だっただけ、みたいな。 なので、「さらわれた云々」ってのは、貧富の差っていうよりも「個人の行動の差」って印象が私は強いです。 >倉島さん。 私がデイブの犯行について思った「シナリオの破綻」、まさにそうです。 野球選手で馴らした彼が、か弱い女性を襲ってあそこまで傷を負うはずがないと思ったし、何よりデイブは相手をボコボコにしたかして、拳が腫れていた…にもかかわらず、ケイティーの遺体にはそんな形跡はなかったように思うのです。。。。 おまけに、デイブの負った腹部の傷は明らかに「切られた」傷で、現場ではナイフの類いは見つかっていないように思います。 なので、かなり初めの段階でデイブの事件とケイティーの事件は別だと観客にも分るのに、なんで殺人課の刑事が分らないのかなぁ〜、、と、ツッコミたくなりました。 もっと不可解なのは、車についていた血液についてデイブが取り調べを受けるシーン。 あんなの、DNA鑑定すれば絶対に分るのに……と、あまりの御都合主義な展開に呆れてしまいました。 現代のアメリカで「血のりがついていた」だけで「ケイティー殺し」の証拠になるなんてこと、ありえるんでしょうか? あまりにツッコミどころ満載で、すべて書き切れません〜。 また別の話なのですが、前にスレたててお返事が全くなかった疑問について、改めて書かせていただきます。 デイブの「現在の日常」の中に疑われるに足る伏線が必要ではないでしょうか? 身近な人々が直感的に「もしかして?!」と疑わずにいられないような「心証」がない限り、いくら挙動不審だからといって、25年前のトラウマがあるからといって、そのせいでジミーを恨んでいる可能性があるからといって、あの優しくて無気力なお父さんが近所の女の子を突然殺しちゃうなんて、短絡的に結びつくものじゃないと思うのだけれど、いかがでしょう? なるほど。 そう言われるとそうだけど、映画を見た限りで解釈すると(原作は読んでいません)、やはりデイブが吸血鬼映画を見ているシーンでデイブの異常性を表現しようとしたのではないでしょうか。 脅えていたがゆえに、被害者の父親に打ち明けてしまうという軽率な行動をとってしまったのではないでしょうか。 基本的には、この映画は他の人物の描き方にしてもその人物がどういう人かを示す説明的なシーンを省いていて、進行するドラマの中につめこんで人物を描こうとしているように思えます。 たとえば殺された娘とまま母との関係は重要な部分だと思うがそれを直接的に示す説明的なシーンは省いているようだし、口を聞けない少年と兄との関係についてもそう。 それだけにしばしば展開が唐突なような気がするのだが、同時に人物の表情やふるまいなどからこの人物がどういう人生を送って来てどういう人物なのかを想像させるみたいな形に作っていると思う。 通常の整合性のとれたミステリーではないのでしょう。 >成層圏さん 専門家ではないので本などからの受け売りに過ぎないのですが、子供時代のトラウマは反復行動を引き起こすことがあるそうです。 どういうメカニズムかよくわかりませんが、トラウマの元となった事件を「再演」するんですって。 だから「わざわざぶり返すような」デイブの行動は、むしろリアルなのではないかと。 でも、私もホラービデオをおとなしく観る程度ではトラウマの反復行動としては弱すぎるような気がしています。 例えば女をまともに愛せない体になってしまうというような悲惨な形で現れるものなんじゃないのかな。 このへんの被害者心理については萩尾望都の長編漫画『残酷な神が支配する』にかなり克明に描かれております。 たぶん成層圏さん向きではないと思いますが。 >jagarさん 確かにデイブはジミー&ショーンよりさらに下層だったと思われる節がありますね。 でも、刑事として街に再び足を踏み入れるショーンのせりふから察するに、あの街全体が「上流」とはいいかねる一帯だったのではないでしょうか。 記憶が定かではありませんが、ジミーとショーンの家はあの誘拐現場のわりと近くだったけれど、デイブはちょっと離れていたのではなかったかな? で、デイブはもちろん犯人や旧友たちに対して言い尽くせぬ恨みを持っていたとは思います。 ただ、25年の歳月を経てジミーの娘に向かって爆発するというたぐいの恨みとは異質なような気がするんですよね。 今さらなんで?! その「今さら」を補う要素が何もないので、私には彼が疑われる理由がわからないわけです。 >はへぽさん ごめんなさい、私は車の中の少年の顔が思い出せません。 私ももっとつっこみたいところは多々あります。 一番の不満は、デイブ誘拐事件がデイブのトラウマとして完結してしまっているという点ですね。 誘拐レイプ犯が何らかの形でケイティー殺害事件、もしくは「ただのレイ」事件、あるいは事件でなくても裏社会を仕切るジミーと何らかの形で係わり合いを持つ、というのがこのテのドラマのお約束だと思うのですが、原作者も映画のスタッフもミステリーはどうでもよかったのかもしれませんね。 でも、だからこそ、「描かれない部分」に整合性がほしいと強く思います。 これはやはりシナリオの問題でしょう。 役者さんたちは最大限の努力を見せてくれたと思っています。 こうして皆さんにレスを書くことによって『残酷な神が支配する』を思い出すことができました。 再読してみることにします。 物語の精緻さは圧倒的に『ミスティック…』を凌駕していると思います。 誰か映画化してくれないかな。 R指定になることは間違いないでしょうが。 そういえば『スリーパーズ』も物語のモチーフは同じですね。 実際に行動に移さずにはいられないペドフィリアの男(そういう性癖の女がいるという話は寡聞にして知りません)が確実に存在するんですよね。 子を持つ親として戦慄を禁じえないですが、この現実を肝に銘じて子供を守る手段を講じるべし、です。 こういう映画には警告としての意義があるのだと思うことにいたしましょう。 それはそうですね。 あまり説明的なシーンを入れるのはどうかとは思うけど、デイブとセレステの関係を暗示するようなシーンをもっとうまく挟み込んでいればセレステがどうして夫を疑うのかといった点がより納得できたのかもしれませんね。 でも逆に展開がところどころ唐突でも演出の力技で見せ切ってしまうイーストウッドはさすがだと思うところもあるのですが。 以下、全くの余談ですが、ふと萩尾望都の話が出たので思い出したことですが。 『残酷な神が支配する』は読んでいませんが、藤本由香里『少女まんが魂』に萩尾望都インタビューが載ってて、その中で萩尾氏は『残酷な神が支配する』を書いた動機として、かつての名作『トーマの心臓』で主人公、ユーリは最後、神学校に逃げた(てっきりこの主人公は何かをさとって神学校に行くという話かと僕は思っていたのだがこのインタビューの萩尾氏談では単に逃げただけだったらしい)ので、それを逃げない話を描きたかった。 だから『残酷な神が支配する』の主人公は神学校に逃げなかったユーリなんです、みたいなことを言ってました。 よっぽどこれはドロドロした話なんだろうなあと未読ながら思いました。 私も疑問です。 拳銃で殺されたこと。 本当にデイブには結びつかないですよね。 それに奥さんはヘンですよね。 ジミーにあんなこと言ったらどうなるかは、 はっきりと察しがつくことなのにね〜。 デイブが誘拐されたのは、クルマで送れる 場所に家があったからだと思います。 ジミーとショーンの家は近すぎたのです。 ほんと〜に、考えれば考えるほど・・・ 納得出来なくなってきました。 まー、映画だからしょーがないかあ〜。 それと私の記憶では、デイブが助けた少年は もっと大きい子だったような気がするのですが・・。 ・・もう一回観る気はとてもしないので・・ 謎です。 物語の設定に疑問を持ってしまった場合、その映画にはなかなか入り込めないものですが、この映画を非常に面白がってしまった者として、わたくしの受け止め方を少し書かせて下さい。 わたくしは、この作品は、「因果関係や行動の動機を物語の構造にしない」ということに非常に配慮がなされていて、そこが何よりも興味深いところでした。 特に、警察やジミーはともかく、「妻であるセレステが何故夫であるデイヴを疑ったのか」を全く描かないことこそが、この作品のキモであると思いました。 どういう背景があってのことか分かりませんが、セレステは夫を疑ってしまった。 この事実だけをこの映画は描いています。 何故、疑ったのか? この部分を想像できることが、観客に与えられた恩寵です。 わたくしが、勝手に想像したのはこんなことです。 (ちなみに原作は読んでいません。 ) デイヴは三人の幼馴染の中では、特に真面目で誠実な人物で、そうであったからこそあの時、車に乗ってしまった。 デイヴは、野球で活躍し、セレステと結婚し、息子に夢を託すことで、経済的安定は得られなくとも、なんとか平穏に生きてこれた。 セレステは、デイヴの過去の痛ましい事件のことは知っていたが、そのことについて全く語らず平穏に暮らす夫と表面上幸せに暮らしていながら、内心、「夫は自分に心を開いてくれていないのではないか」という不安を抱えていた。 セレステは自分が夫に不安を感じていたことを、はっきりとは自覚していなかった。 だが、夫が血まみれで帰って来たあの夜、明らかに嘘を語る夫に初めて恐れをいだいた。 「デイヴは私にすべてを語っていない。 」 実際、この時、デイヴは初めて自らのトラウマに激しく直面し、殺人まで犯してしまっていたのである。 全く正気を失って、その混乱ぶりは家人でもはっきり嘘だとわかるような話しか出来ないほどだった。 この姿は、デイヴが家族に見せる初めての姿だったかもしれない。 だが、セレステには子供時代に深い傷を負ったはずのデイヴに対して、結婚以来ずっと偏見があったのかもしれない。 それは、セレステ自身否定したい感情だった。 いずれにしても、あの晩以降、セレステに芽生えた恐怖は、従姉妹の継子が殺害された事件をきっかけに急速に膨らんでいった。 従姉妹のアナベスは、街の裏社会に君臨するジミーに嫁いでいた。 セレステは、従姉妹がこの物騒な街の裏社会に通じていることが貧しくとも安心して暮らせる心のよりどころであった。 それどころかセレステは、真面目だが、何か自分の知らない面を隠しているかもしれない自分の夫に比べて、気性が激しく感情豊かで、裏表のなさそうな夫を持ったアナベスに羨望すら抱いていた。 犯罪を犯した後、デイヴは急速に情緒が不安定になってきた。 友人のジミーの娘の死に直面しては、率直に友人の気持ちを思い慰めたが、様々に嘘を重ねるようにもなる。 警察は単純に、捜査の途上の間違った疑いから、デイヴを強制的に事情聴取した。 セレステの不安は決定的になった。 長年、自分がデイヴを本当に信頼してきてはいなかったことに気付き、共有してきたはずの感情を恐怖が上回った。 セレステは、従姉妹を通して知りえていた街の裏社会に保護されたいと思った。 間違っても裏社会を敵に回してはいけないことは分かっていた。 この息苦しさに耐えられなくなったセレステは、ジミーにデイヴを消してもらうことを自ら本能的に選択してしまう。 警察の捜査によって犯罪者の妻にされるのは勿論、裏社会を敵に回したらこの街では生きていけないと直感的に感じたからである。 ジミーは案の定、激昂してデイヴを殺した。 とても冷静な判断ではなかったが、既に殺すことで感情を精算する術を知っていたジミーにとっては、警察の捜査など待ってはいられなかったのだ。 パレードの日。 これで、何とかジミーとアナベスのファミリーの庇護の下で生きていけると思っていたセレステは、ジミーとアナベスの冷たい視線に、初めて己の過ちを悟った。 裏切り者など誰も守ってはくれない。 自分は、自分と自分の息子を己一人で守り抜かねばならないのだ、と。 『残酷な神が支配する』は読んでいませんが、藤本由香里『少女まんが魂』に萩尾望都インタビューが載ってて、その中で萩尾氏は『残酷な神が支配する』を書いた動機として、かつての名作『トーマの心臓』で主人公、ユーリは最後、神学校に逃げた(てっきりこの主人公は何かをさとって神学校に行くという話かと僕は思っていたのだがこのインタビューの萩尾氏談では単に逃げただけだったらしい)ので、それを逃げない話を描きたかった。 だから『残酷な神が支配する』の主人公は神学校に逃げなかったユーリなんです、みたいなことを言ってました。 よっぽどこれはドロドロした話なんだろうなあと未読ながら思いました。 『残酷な神が支配する』は、私も連載当時に本屋で立ち読みして読むのを断念したくらいですので、どろどろした話なのであろうと思います。 ところで、『トーマの心臓』って、十代のお嬢さん方にはファンが多いのですが、大人の女性だと、「これだけは許せない」と言う人もけっこういます(笑)。 ご紹介のエピソードはとても納得のいくものでした。 (ちなみに、私は何となく腑に落ちなかった、という程度の読後感でした。 でもこれはWacさんの作品であって、原作者やイーストウッドのではない…… 私も観終わったあとでこのような展開(Wacさんの力量には及びもつきませんが)を想像しないわけではなかったのですが、映画そのものの鑑賞中にこういう背後の心理的な物語が立ち上がってこなかったのが残念。 最近観た中でもダントツのお気に入りである『インファナル・アフェア』は、主役ふたりの描かれない物語が両者の表情やせりふのはしばしににじみ出ている気がして、胸が苦しくなるほどだったのにね。 『残酷な神が支配する』は確かにドロドロで、読むのに気力・体力が要ります。 気がめいっている時にはおすすめできないという点では、この映画と同類です。 でも心理学や精神医学でよく説明されている「母親のカウンセラーを努める子供」「性的虐待のトラウマ」「トラウマの再演」などについて、どんな解説書よりもよくわかりました。 すっきりと理解できたというわけではないけれど、「こういうことって現実にあるんだな」と有無を言わせず納得させられる迫真力があります。 「残酷な神」ってのは優しそうな母親のことだなと思う。 『ミスティック』でその役割を担っていたのが妻たちでしたが、彼女らと子供との関係はあまり描かれていないし、3人の少年の親にいたっては全然姿を見せてません(デイブの親の「姿」だけと、ジミーの義父は出てきますが)。 子供時代のトラウマの克服の過程では、親も重要な役割を果たすと思うのですが、そこもこの映画が物足りない理由のひとつですね。 脚本の撮影稿には、我々が疑問を抱くところの回答が書かれているのでしょうか? 編集の際、撮影済みにもかかわらず、時間的な制約でやむを得ず削除された場合、リールのつなぎに無理が生じたりしますが、そのような兆候は感じませんでした。 この作品には否定的な私ですから、こんなことを書いているのですが・・・。 このスレに書き込んでいらっしゃる方はセレステが連れ去り事件について知っているという前提ではなしていらっしゃる様ですが、映画を見た限りそう言う事実はないように思いました。 まして街の人が全部知っているということは事件性質上あり得ないでしょう。 セレステが事件を知っていなければ、事件の夜以降の夫の豹変ぶりに彼女が動揺したこともある程度仕方がないように思えます。 また、ショーン夫妻の夫婦関係は他のふた組の夫婦の関係程いびつではないように感じました。 三人の男性の生き方の違いからくるつまとの関係の違いだけでも私は見ていて十分に面白く感じました。 本題について。 このセレステの行動ってのは、愚かな女の象徴ではないのかなーと。 プラスその後のアナステの行動をより際立たせる為の伏線、とゆーか。 で、そんなん言われなくても分かってるよ、もっと実際的なオチどころが欲しーんだよって話ですよね。 観ていて思ったのは、今までこの夫婦はそこまで深いコミュニケーションを必要としなかった関係なんだなーと。 このこと自体はそう特別な設定ではないと思う。 別にダレもが皆互いを理解しあって夫婦になるってわけでもないしね。 ところがそんな夫婦はいざ問題が発生した時に、相手を理解し得ていなかった部分に、通常互いに相手を深く知り合った夫婦では考えられないような大きな溝を見、その大きさと同じ程度の妄想が入り込むことを許してしまう。 まずはそこではないか、と。 そして、そう思わせてしまったデイブ、という存在がある。 確かに常日頃から何か暴力的な問題を起こし、精神が不安定なデイブであれば疑われるのは容易いでしょう。 でもデイブはそんな人間ではなかった。 そして事件の後もそんな人間ではない振る舞いだった、であれば疑われることは皆無だったでしょう。 しかし、暴力性の微塵も見せなかった男は、ある夜を境にどうにも妻には理解し難い言動を見せるようになる。 妻は原因を考えるでしょう。 何かキッカケを探すでしょう。 そして彼女が考えうるそのキッカケがあの夜、ケイティが殺された夜、にあるのだとしたら。 それしか思いつかなかったとしたら。 一方デイブはあの夜、相手はケイティでこそなかったが、殺人を犯している。 シリアル・キラーじゃあるまいし、通常、一般的とまでは言えずとも普通の人間であるデイブに、その影響が出ないはずがない。 しかも彼のトラウマと直結しているこの殺人は、事の後でも彼の身から殺意のようなものを滲ませるのに十分ではなかったろうか。 それが殺人に結びつくような暴力的なものだったかはともかく、しかしデイブを見ていれば、何らかの異変はもちろんスクリーン上からも感じ取れる。 結局、凶器がなんだとか、殺害方法がなんだとか考えてるうちは、まだそれはデイブのことを信じている証。 一番恐ろしいのはまず疑うことであり、それは恐怖を呼び、理屈や話の整合性などは吹っ飛ばしてしまう。 これはこの映画の核心でもある。 恐れや憎しみが一人歩きをし、冷静に考えれば避けられうる悲劇を作り出す。 ジミーの場合、セレステにとっての恐怖は、犯人への憎しみでしょう。 またジミーの夫婦関係を見るに、妻が夫を怪しむのは最早事実に最も近い証拠である、とジミーが考えるのは想像に難くない。 しかしこれはやはり、恐怖や憎悪のようなネガティブな感情が、己の目を曇らせる、という心理描写であって、本題お望み(のように見受けられる)行動描写によって納得いくように説明しろってのとは離れちまってますかねー。 と言いつつ、セレステの行動に対して再挑戦! セレステは従姉妹のアナベスが同じ町で暮らしていることから見ても、この大きいとは言い難い町(社会)で育ったのであろうと思います。 都会(都心)とは違い、この程度の大きさの町の人間は、基本的に地域に根付き、親戚一同付かず離れずの距離に暮らしています。 思うに、この町で生まれ育ったセレステには、この町を離れて暮らす、という選択など存在しなかったのではないでしょうか。 セレステは、決して夫を消して欲しくてジミーに打ち明けたのではなく、 ただこの恐怖から開放されたかったのでしょう。 誰かに助けて欲しかった。 本来ならばその縋る先は警察であるはずだが、この町ではその力ある者は、ジミー。 結局セレステはその描写にある通り、アナステほどの強かさもなく、倉島さんほどの? 逞しさもなく、ただ苦悩するだけの女。 またおそらくセレステは、デイブの事件を知ってはいるものの、それが彼にとってどれほどの重みを持ったものだったのかは分かってはいなかったのだと思います。 彼女に限らず、町の人たちも、彼の事件がどれだけ彼の精神にダメージを与えるものだったのか、理解に乏しかったのではないでしょうか。 ゆえに、おそらくセレステは、普通に女が男を愛するようにデイブを愛していたのでしょう。 彼女にとっての悲劇はただ、それがデイブだった、ということです。 長文失礼をば。 チカラ尽きました。 おかげで少し考えていたことにまとまりが付いてきました。 「町の誰もがデイブ自身や観客が感じているようにはこの事件の重要性を認識していなかった。 」 これが、このスレッドの疑問についての答えだと思います。 ただ、25年の歳月を経てジミーの娘に向かって爆発するというたぐいの恨みとは異質なような気がするんですよね。 今さらなんで?! その「今さら」を補う要素が何もないので、私には彼が疑われる理由がわからないわけです。 でもう一つ、倉島さんのレスで一つ身逃していたところを引用しました。 ここも間接的には大事なところだと思いますし、この映画をミステリーではなく悲劇として解釈するのなら、こっちの方がむしろ大事なポイントかも知れません。 デイブ自身は、そもそもの連れ去り事件自体が自分自身にどういう影響を与えていたか、と言うこと自体、恨みに思うどころか無意識的に忘れていた可能性さえ合ったのではないかと私は思っています。 それを思い出したのは事件の夜ケイティーに出会ったことがきっかけです。 そのことは本人もジミーの前でみとめていますし、苦し紛れで行ったことではなくそれは紛れもない事実でしょう。 そして、ケイティーにあって自分が事件によって失った物に改めて気付いたことがもう一つの殺人事件を起こすきっかけになっています。 心情的には彼自身もケイティーに関してやましい気持ちが全くないとは言い切れなかったというところが、合理的な判断基準では行動していないセレステやジミーの疑いを招き入れる遠因になってしまったのではないでしょうか。 実際にケイティーを殺していなくても、心情的には罪をなすりつけても少なくともジミー夫妻の良心はさして痛まないという結果になってしまった。 デイブが人よりも繊細な心を持っていたが故の悲劇で、心が痛みます。 「ケイティーの母親のような特別な女性に声をかけることなど、もし、自分があのとき、車に乗っていたらとても出来なかっただろう」と。 (前の書き込みで誤変換がたくさんあって読みにくかったことをお詫びします。 」 ということは、こういう事件、犯罪は日常茶飯事のことを表わしているのでしょうか。 憂鬱になります。 当事者というか、その国に生活していないと、なかなか気づきにくいことが有ります。 アメリカの評者たちは、どのレベルで高く評価するのかと思います。 しかし、外部の者こそ、当事者には気づかないことを指摘することが出来るとも言いますし。 そうではなくて、誰も十数年前の事件の正確な所などいかにそれが重大事件であっても、普通は覚えてはいないと言うことが言いたかったのです。 覚えていたとしてもどういう事件かは当事者以外は憶測でしかわからなかったはずです。 性的虐待の物的証拠は残っていないと警察官のショーンも台詞で言っているくらいですから、単なる児童連れ去り事件というのが公的な解釈で、性的虐待はそれこそ状況証拠から浮かび上がってくるものにすぎません。 それどころか、事件自体単なる連れ去り事件だった可能性さえゼロではありません。 デイブの神経の細さ(これは生来のものでしょう)を考え合わせれば、帰った後に心ないことを言われてそれを事実と混同してしまったことだって考えらなくはありません。 もちろんデイブの殺人事件後の行動を照らし合わせて見ると単なる連れ去り事件だと考えるには後遺症が大きすぎるのですが…… それに、実際の事件の有り様を知っているデイブの意識はすでにこの映画に映し出された時点でどこか常軌を逸している。 だから、観客が想像するような形での事件、デイブが感じている様な形での事件は実は現実の事件とは違っている可能性もあるし、ましてや街の人たちが記憶しているそれとはかなり異なるはずです。 観客はデイブを通して事件を見ているのですから連れ去り事件の影響の大きさは重大だと思う。 他の二人への影響はもしかしたらもっと大きかったかも知れない。 デイブは、殺人事件の夜まで連れ去り事件を無意識的に忘れていた可能性が大。 ジミーは行きがかり上事件の影響を実際より大きく思いたいだろうし、ショーンは割り切れない思いを抱えながらも冷静にとらえようと努めているようです。 一方セレステには事件そのものを知りたくもないと言う心理が明らかに働いています。 ドラキュラの映画を見たあとのデイブがなけなしの勇気を奮って口に出した告白の言葉を聞こうとはしませんでしたから。 3人にとっては連れ去り事件がその後の人生に大きな影を落とす事件であったことが、ケイティーの殺人事件をきっかけに浮かび上がってきてしまったわけですが、麗々しく冒頭に出てくるこの事件、物語の心理的背景としては重要かも知れませんが、ケイティー母子の死ほどには物語の実際の展開に重要な意味を持っているとは私には思えません。 もっかい全部読み返してみて、これは内容云々より認識の違いだってのが分かりましたわ。 つまり倉島さんは、セレステとジミーはデイブ本人に聞く前から、デイブはトラウマのせいでケイティを殺したと思った、とお考えで? ラストのデイブがジミーに強要されて言ったケイティ殺害の動機を、セレステとジミーはその前から既に推測していた、と。 ココですね。 デイブのケイティ殺害の動機がトラウマにあったというセレステの認識の有無、これが分かれ道なのですね。 確かにセレステがそれを認識していたと考えると、倉島さんが抱く疑問がよく理解できます。 数々の矛盾点、その通りです。 しかし前述のレスと重複しますが、映画を観る限り、セレステが彼のトラウマについてそこまで理解をしていた、心を砕いていた、とは思えません。 結果、デイブのトラウマ云々は抜きにして、単純に倉島さん言われるところの状況証拠をもってセレステは彼を疑うに至ったのだ、と鑑賞中には思っていました。 ジミーの場合は、まずセレステの疑惑という大きな前提がある為に、事実との検証はすっ飛ばしたものかと。 あるいはこうも言えます。 ジミーはジミーが知る限りのデイブの人間性そのものより、デイブを最もよく知っているはずであろうセレステの言葉を信じた。 また、ジミーのデイブに対する負い目のような感情が、彼に無理なくデイブ犯人説を信じさせるに至った。 Baadさんの「町の誰もがデイブ自身や観客が感じているようにはこの事件の重要性を認識していなかった」が疑問の答えになるとの考えに賛成です。 また、デイブが事件を忘れていた可能性も、ある意味、部分的に賛成です。 但し、忘れること自体はこの場合不可だと思われるので、本人の意識、無意識の双方で事件とそれにまつわる感情を表層に持ち出さないよう最大限の努力をしていた、が妥当かと。 人間、完全に忘れることは無理でも、普段思い出さないように生活することは可能です。 まぁ、自分を騙すとも言いますが。 それを表層に出し、しかも留めてしまうに至ったのは、やはり彼自身が行った殺人でしょう。 キッカケには確かにバーで見たケイティも含まれているし、彼が最後にジミーに言った言葉もやはり本当のことだと思います。 しかし、ただ彼がケイティを見ただけでトラウマが蘇るといったことはないはず。 彼があれから長い時間を普通の人間と同じように暮らしている、という事実を踏まえると、これくらいのことで心のバランスを崩すほどに彼が動揺するとは思えません。 名指しで聞かれちゃったので、成層圏さん、 ざっとネットで検索した限り、「CNNのレポートによれば毎年アメリカでは325,000人」とか 「2000年度で87,900人」とか「司法省発表では4,000,000」とか、色々ありますねぇ。 政府発表のを引っ張り出したかったんですが、ちょっと時間切れ。 児童に対する性犯罪がアメリカで日常茶飯事化しているのはデータを見る限りは事実だと思います。 幸いなことに身近にその事実を感じたことはありませんので、断定はできませんが。 ただ、この映画において町の人間が事件の重要性を認識していなかった、というのは、日常的に行われていることなので取り立てて気にすることもなかった、ということではなく、児童への性的犯罪そのものに対する認識不足、を指したつもりです。 犯罪そのものや犯人への憎悪は昔からよく見ますが、その後の子供や親に対するケアへの注目は、それほど昔のことではありません。 まぁ、それにしてもなんだってデイブはここまで放ったらかしだんだ〜?とは思いますけど。 ストーリーに整合性を持たせる為の心理描写や、行動に対する動機付けは、この映画に関して言えばあまり重要ではないと思います。 デイブ連れ去り事件、ジミーのレイ殺害、ケイティー殺害事件、その当事者の心理を描ききってしまっては、イーストウッドが伝えたかったメッセージ性が損なわれてしまうと思います。 ケイティー殺害で登場人物達は正気ではないのですから、セレステやジミーがデイブを疑う根拠は必要ないでしょうし、あえてそうしなかったのだと思います。 むしろ、正気を保っているショーンとモーフィアス(覚えてません)が事件の真相を突き止めた後が重要だと思いました。 少年二人がケイティーを殺害した動機が、ショーンがジミーに説明した通りの短絡的な動機だとすれば怖いですよね。 デイブを殺害してしまったジミー、デイブを疑ってしまったセレステ、真相を知っているショーンやアナベス達のラストの表情を観せられてしまってはお手上げです。 デイブ殺害の『暴力の結果』の続きをも考えさせられてしまいます。 暴力描写によってメッセージを伝える、イーストウッドらしい作品だと私は思います。 ) デイブの事件が実は単なる拉致に過ぎなかったってのは、Baadさん自身の想像の産物に過ぎないでしょう。 明らかにソレと暗示する映像はありましたよ。 おー我ながら文意と言葉が矛盾してるぜ。 ドラキュラ映画のデイブの言葉って、勇気を奮って口にした告白だったのか。 ほぼ独り言に近い言葉かと思ってたけど。 あの時のデイブには、あんーまり伝える意思を感じなかったけどな。 だからこそセレステは聞いてなかったのでは。 つーか、聞けなかった、かな。 自分に向かって発せられているのか不明な、しかしどこか確信に満ちた言葉ってのは、聞くほうからするとちょっとばかり恐いもんですよ。 どーなんですかねぇ。 セレステには事件そのものを知りたくないという心理が働いているってことは、じゃーセレステは昔の連れ去り事件と今回の件との繋がりを感じ取っていたってことですかね。 冒頭のデイブ連れ去り事件は、確かにセレステにとっては実際の事件の展開に重要な意味は持っていなかったと思う。 でも、ジミーにとっては持っていた。 彼の言動からすれば相手がデイブであろうとなかろうと結果は同じだったかも知れない。 しかし、一度疑いを持ったジミーにとって相手がデイブであるというのは、信じるに足るものがあったのでは。 それは少年時の例の事件。 デイブが実際のところどう思っていたのかはともかく、ジミーとショーンは明らかにあの事件の為に、デイブに対して負い目を抱いている。 その負い目がジミーに、デイブが(おそらく自分への憎しみから)ケイティを殺したのだ、と思わせたように見える。 ところでbowowさんの、当事者の心理を描ききるとイーストウッドの伝えたかったメッセージ性が損なわれる、の意味がよく分からない。 イーストウッドがしたというコメントに照らして言えば、心理や行動への動機がなかったら、描かれるのは暴力の結果じゃなくて、ただの暴力じゃん? 原因が無ければ、結果は存在しない。 そう思う。 「主張さえ通れば細部はどうだっていいんだ」という スタンスでイーストウッドがこの作品を作ったとしたら、 彼の監督としてのセンスを疑わざるをえません。 (もとより評価などしてないけど。。。。 ) 犯罪や暴力に整合性がなければ、 客観的にそれは単なる「蛮行」でしかありません。 整合性を無視しても「主張」を感じ取れるのは単に観る側が 「イーストウッド」というキャラを「理解」しているからで、 監督のキャリアや嗜好を知らない人間には 単に「稚拙」な作品づくりにしか感じられません。 様々な「良く出来た作品」というのは、 緻密な事実の積み重ねがラストに一点に収斂するから 感動が生まれるわけでしょう? 細部がバラバラの作品の主張を汲み取る……というのは、 よほど見る前から作品に対して好意的でないと不可能です。 この作品は俳優の演技がよかったので、 その演技の中から作品の真意を読み取ろうと思いましたが、 過程があまりにも散漫すぎて……考えが一点に行き着きませんでした。 ラストにも大いに疑問が残り、?が頭にたくさん浮かんだまま 未だに消化し切れていません。 うむう。 ) ところで、Wacさんの書き込み、そんなにヘンだったですかね? 間違っても裏社会を敵に回してはいけないことは分かっていた。 以下を読んだときは絶句しましたが、そこまでは概ねその通りだと思いましたよ。 私としては前半はすべて同意。 明らかにソレと暗示する映像はありましたよ。 おー我ながら文意と言葉が矛盾してるぜ。 暗示だけでしょう。 下着姿で小屋から逃げ出したとか、車の中が散らかっていたとか。 その後の展開からすれば、単なる拉致ではないことは判りますけど、町の人にはそれは判らない。 それに、実際問題としてその後のデイブをみれば実は虐待そのものよりも町の人や家族の対応の悪さから来る二次被害の方がどう見ても大きかったんじゃないの?虐待がなければデイブは殺人は犯さなかったろうけれど、殺人自体は情状酌量の余地があったのだから、表沙汰になってもやり直す余地は十分あったと思うのですけれど。 ほぼ独り言に近い言葉かと思ってたけど。 あの時のデイブには、あんーまり伝える意思を感じなかったけどな。 だからこそセレステは聞いてなかったのでは。 つーか、聞けなかった、かな。 自分に向かって発せられているのか不明な、しかしどこか確信に満ちた言葉ってのは、聞くほうからするとちょっとばかり恐いもんですよ。 そりゃそうですけど、トラウマで変になっている人の言動って普通そういもんでしょう。 対応についてのカウンセリング受けてたりすれば、あの場面で逃げたりはしないでしょう。 事件を起こしてからデイブがセレステに正直に話していたのはあのときだけだったような気がするのですが。 それに、実際デイブはあそこでのセレステの反応に明らかにショックを受けていたと思いましたが。 セレステには事件そのものを知りたくないという心理が働いているってことは、じゃーセレステは昔の連れ去り事件と今回の件との繋がりを感じ取っていたってことですかね。 あのデイブの反応は殺人事件を犯したことからと言うよりも、それ以前に虐待(?)の現場を見たことが原因のような気もしますが、どうなんだろう。 そう言えばこの映画で、デイブが殺人を犯す前の車の中のシーンだけ時間を遡って挿入されていますよね。 あとは時間軸に逆らわずに律儀にシーンが並べてある。 で、デイブの心の動きはこんな所でしょう。 (ケイティーを見て自分が失ったものがなつかしくなった。 でも、ようは夫が自分が知らないどえらい秘密を抱えていると言うことを感じて怖くなったと言うことではないでしょうか。 で、あの絶好の機会にを本人に確かめる勇気も技術も持っていなかった。 あれが連れ去り事件の影響の結果から出てくる行動だと判っていればデイブを疑ったりはしないでしょうけど、デイブは殺した相手が変質者だとはあの時点でセレステに言ってはいませんでしたよね。 (言えないのは過去のトラウマのせい。 )だから正当防衛による殺人にしては動揺が大きすぎるのでケイティーを殺したのかも知れないと思ってしまったのでしょう。 そのへんはretahetさんの書き込みのとおりでしょう。 このあたりの行き違い、というのは夫婦どちらのせいでもないし、どちらもおかしかったような気がしますが、どちらかというとやはりデイブに責任が有るような気がします。 ジミーに話したのはやっぱりどう考えてもまずかったですけれど、ジミーはデイブの顔が腫れていたとか嘘付いて誘導尋問してますよね。 セレステに。 それで警察がそこまで疑っているならケイティー殺人犯はデイブだと思いこんだのでしょう。 デイブは事件の晩のことについてはいろいろと嘘や隠し事が多かったし。 しかし、一度疑いを持ったジミーにとって相手がデイブであるというのは、信じるに足るものがあったのでは。 それは少年時の例の事件。 デイブが実際のところどう思っていたのかはともかく、ジミーとショーンは明らかにあの事件の為に、デイブに対して負い目を抱いている。 その負い目がジミーに、デイブが(おそらく自分への憎しみから)ケイティを殺したのだ、と思わせたように見える。 これはその通りだと思います。 夫婦関係に加え、ジミーは道義的に責任が有ればその相手を殺してしまうような男である、ということはレイの件で明らかなんですから、自分にひきつけて考えてしまったのでしょう。 一方で、ジミーはレイの息子のレイも毛嫌いしていたのですから、そちらに嫌疑が行かなかったのは警察の捜査の遅れが原因。 ショーンが関係者だったので捜査の手順が狂ったと言うこともあるいはあるかも知れません。 でもその情報は、登場人物全てが知っている事実ではなんですから、娘を暴力で殺されて正気を失ったジミーと、事件の夜を境に急激な変化を示す夫に戸惑うセレステがデイブを疑う行為はあり得ない事では無いですし、セレステがジミーに告白する時には疑いを通り越して確信していましたよね。 「ケイティーを殺したのはデイブなのか?」と問われてセレステは否定をせずに頷いていました。 そして、デイブ殺害・・・ デイブは犯人じゃないとわかっている(思っている・信じている)観客には疑問が沸いて拒否反応を起こすかもしれませんが、多分その反応こそがイーストウッドの望んでいたもでしょうし、もちろん観客がデイブを疑ってジミー達に同情する反応もOKでしょう。 「人間の正気を失わせ、愚かで浅はかな決断を選択させ、不条理を生み出してしまうのが暴力だ」とストレートに伝えていると思います。 真犯人が捕まった後のラストでも、デイブ殺害という暴力の結果によって、さらに愚かな決断と不条理が繰り返されます。 登場人物の心理描写や、行動に対する動機付けの描写が極端に少ないのは、観客に対して「暴力とは?」と訴え たいから、考えさせたいからだと思います。 全て明確に答えが出ていてハリウッド映画らしくハッピーエンドで完結していたら、いつも通りの娯楽映画で終わってしまいますよね。 イーストウッドのストレートな訴えが、現代アメリカ社会が抱えている問題にマッチしていて観客に伝わり評価されたからこそ、この作品がアカデミー賞の作品、監督賞にノミネートされたのだなと私は納得しています。 ここ最近のイーストウッド作品は、地方によっては公開されなかったり短期間で上映を終了したりしていたので、「ミスティック・リバー」が話題になるのは監督ファンとして嬉しいです。 暗くて重くてユーモアがなく救いようがないので、何度も観れる作品ではないですけど、あのラストの表情があるからこそ、監督の伝えたかったメッセージが私には十分すぎるほど伝わりました。 ジミーは、自首もせず十字架を背負ったままデイブの家族にも毎月500ドルの仕送りを送るのだろうか? ショーンは、ジミーのデイブ殺害、レイ殺害を追及しないのだろうか? セレステは、夫を信じることが出来なかった事を後悔しながら、ジミーを疑いながらもあの街で息子を育てていくのだろうか? なんてことをいろいろと考えませんでしたか?• 前回のレスと今回とでちっとズレがある気がするんだけども。 今回のレスに描かれているこの映画のことに関しては概ね同意。 ただ、今回のレスのコメントそれぞれが何に対してのレスなのか、所々不明。 Wacさんの書き込み、全然ヘンじゃないですよ。 むしろ一部非常に同意ってのもありましたし。 もちろんそーでない部分もまたありましたけど。 そーでなくて、Wacさんを例えに出したのは、WacさんのレスでWacさんはこれはもう自身の想像の世界ってのを先に出してますよね。 (だからどっからそう思ったのかっても言わないし、こっちもわざわざ突っ込まないし) そこを例えてみたんです。 あのカッコ書きが蛇足だったんかなー? Baadさんは、デイブの性的虐待が実はなかった可能性もある、と思ってるんですよね。 いいねぇ、大胆だ。 作品の根底がグラリと揺らぎますねー。 で、確かに映画の中で具体的な描写はありません。 そういう観点から言えばこの点はグレーです。 しかし、この映画においてデイブが性的虐待を受けたことが全ての観客に分かるように、少年デイブが2人の男たちに性的虐待を受けているシーンを挿入する必要があったのか。 ないでしょう。 なくても既存のシーンで十分その役割は果たしています。 (つーか、正直見たくねー) とは言え、グレーはあくまでグレーですから、なかったのだ、と個人が思う分には自由です。 ただ、前回のレスからは、実は男二人はただちょろっとかわいいデイブを攫って監禁してみただけで、デイブが半裸で隅にうずくまっている部屋へ男二人がベルトだかズボンだかに手を掛けながら入って来て、デイブが「もうひどいことしないで」と懇願するシーンは別になーんでもないんだ、もしかしたらデイブの妄想だったのかも、というBaadさん説が、一般的に考えうる見解の相違のように描かれているように感じたので、そーれはないっしょ、てことで突っ込んでみたのでした。 で、ところが、今回のレスを読む限り、そー思ってる(かも知れない)のは町の人々であってBaadさん自身ではないと? それともBaadさんもそう思っていて、町の人もそう思っているだろう、てハナシですか? えー、でもって引き続き、虐待そのものよりも町の人々や家族の対応の二次被害の方が大きかったのではないか、と反論されているようですが、コレがナニに対しての反論なのか、よく分からない。 周りの対応の悪さ云々より虐待そのものの方が重大だったのだ、とかどっかで断定しましたっけ?周りのケアも十分ではなかったのでは(ココはBaadさんと同意見ですよね??)といった旨の発言をした覚えはありますが、どちらがより大きな被害を巻き起こした云々のハナシはした覚えがない。 で、次のドラキュラ云々ですが、これもよく分からねー。 デイブの「告白」についてか? セレステが被害者をサポートする立場としてのカウンセリングを受けていれば、あのシーンでのデイブの「独り言」を「告白」として捉え、逃げるなんてことはしねーだろ、てことかな? その通りだと思いますよ。 つまり、だからセレステはそんなカウンセリングなんか受けてないんですって。 それともBaadさんはセレステはそういった一連のカウンセリングを受けていて、その上で逃げたのだ、と? だったら、Baadさんのセレステは事件そのものを知りたくないという心理が働いている説も納得です。 いや、心理が働くどころか、あからさまに行動に移してますよね、その場合。 えーと、このシーンについて前回倉島さん宛てに表した自説を補足すると、デイブのトラウマについて認識していないセレステは、当然カウンセリングを受けておらず、ドラキュラ映画を見てポツポツと語る彼を見て、恐怖が先立ち、一層ケイティ殺害への疑惑を募らせた、と。 こんな感じかな。 デイブのトラウマ反応は、殺人よりも、虐待(?)の現場を見たことが原因(Baadさん)。 確かに。 正しい。 そう思う。 ただ、デイブがそれ以来いつまでもその中に留まってしまっているのは、彼がその男を殺せてしまったところにあると思う。 以下、映画内にこの点における描写はなく、あくまで推測。 (但しこの件、反論歓迎 笑 う〜、スレからズレてくなー) デイブは今の自分であれば男を殺すことが出来る(実際、出来た)ことを例の殺人事件によって自ら立証してしまいます。 これは、後々彼を苦しめる。 彼を苦しめるのは、犯した殺人そのものではなく、現在物理的に力を持つ自分と比較し、当時力を持たなかった少年の自分の再発見。 今の彼ならば、少年の彼を救えたはず。 つまり今の彼は自分の力で自身を守ることができる。 しかし当時の自分はそれが出来なかった。 仕方なかった。 当然ですね。 子供の力では大人の男二人には対応できるはずもない。 デイブも分かってはいるはず、頭では。 しかし、心はそう簡単に言うことを聞くもんではないですね、往々にして。 簡単に言うとそれは悔いでしょう。 何故車に乗ってしまったのか、何故途中で逃げ出さなかったのか、そして何故誰も助けてくれなかったのか、自分が少年を助けたようには。 今なら変えられるのに。 今なら自分自身を救い出せるのに。 残念ながら過去は取り戻す事はできず、現在の自分がどうなろうとも、それは永遠に不可能。 イタイですねー、これは。 デイブはいっそのこと、とっさに殺人を犯すことなんて不可能なほどに非力であればよかったのです。 そうすれば例の事件はやはり運命だったのだ、と諦めることもできたでしょう。 しかし大きくなったデイブは男らしく自分の身は自分で守ることができる大人の男に成長してしまった。 これは益々もって、過去の非力な(肉体的にも精神的にも)自分を浮き上がらせることになってしまう。 コレこそが、彼をトラウマの中に閉じ込めいてる要因であると考えます。 ホントにねー、カウンセリングでも何でも、誰かがそれは仕方のないことだったんだよ、て言ってあげられればねー。 どこまでも痛々しいデイブでござる。 つーことで、書き加えるほどに長くなってゆくのはナゼ?! なアタマわりぃ文章もここでお終い。 長文、乱文、失礼をバ。 bowowさん、 「人間の正気を失わせ、愚かで浅はかな決断を選択させ、不条理を生み出してしまうのが暴力だ」コレ自体に異論はない。 正しいと思うよ。 でも、その(bowowさん言うところの)テーマが、登場人物の心理を描ききることによって損なわれるとは思わないな。 いや、いっそのこと、描ききることによってそのテーマは益々浮上してくるものかも知れない。 登場人物の行動の過程が理解できなければ、観客はそれを映画の中のお話として処理してしまう可能性が高い。 登場人物の行動はややもすると観客である自分すらもする行動の一つかも知れない、と思わせることがこのテーマの場合は大事なことではなかろうか。 bowowさんが必要ないと言ってた、セレステやジミーがデイブを疑う根拠、が提示されていなければ、あーこいつらちょっとオカシーんだな、で終わっちゃうっしょ。 そうやって疑うのは分かるけど、でも待ってよ、と観客に思わせなければ、その結果を示された時にbowowさん言うところのテーマが持つ痛みを共有することはできないのでは。 ちなみにこの映画に関して、登場人物の心理描写や行動に対する動機付けの描写が極端に少ない、とは思わない。 あるある。 さすがに多いとは言わないけど。 ただ分かりやすくは提示されてないってだけ。 それって単純に役者に力があるから、エピソードで表すよりも役者の演技そのものに語らせる、という手法を取ったに過ぎない。 またその方がストーリーそのものへのリアリティが増すという強みもある。 bowowさんの言う通り、この映画が観客に対して「暴力とは?」と訴えたいのであれば、暴力に至る過程(正気じゃなかたったんだから、と言うのであればそこも含めて)を描かないことには、その訴えはありえない。 なぜならば、過程なしに暴力だけを見せられても、観客は暴力そのものしか捉えることは出来ず、命題である「暴力とは?」に行き着くことは難しい。 先に挙げた「暴力の結果」を示したいのであれば尚更、観客が暴力そのもので留まってしまっては、その映画は自身が持つ役割を果たさなかったこととなってしまう。 この映画に限ったことではないが、映画の中において人物描写(心理、行動含む)が曖昧であることと、テーマの深遠さとは関係がない。 同様に、人物描写(心理、行動)がなされていることが、「全て明確に答えが出ていてハリウッド映画らしくハッピーエンドで完結」であることを示すものではない。 尤もbowowさんとは「描ききる」という言葉の認識に相違があるのかも知れんけども。 明確な描写をする事でテーマを観客に対してもっと身近なものにする、という考えに異論はありませんが、私はこの映画を観ていて、イーストウッドは曖昧な描写・抑えた演出を意図的にしているのだと感じました。 この演出方法は、イーストウッド作品の特徴(魅力)の一つでもあります。 「作り手の意図は無く、シナリオが破綻しているだけ」と反論される方がいるかもしれませんが、少年がケイティーを殺害した動機、デイブが男を殺害した動機、等々他にも明確な描写があって当然な筈の動機や心理を曖昧に描写していることから、そこに作り手の意図が窺い知れます。 曖昧な描写をする事で観客に対して考える余地を与えているからこそ、ここの掲示板の様に評価の高低に関わらずにいろいろな解釈(推測)が沸き起こっているのでしょう。 つまり、暴力やその影響力についてみなさん考えているからだと思います。 たとえば、明確な描写をしていて観客が理解したとしても、あのラストの展開を観せられてしまっては、「理解出来ない、野蛮な暗い映画」という結論で完結してしまう可能性が大きいと思います。 『明確な描写』か『曖昧な描写』どちらの方が正しいのか? 好みの問題でもあるので平行線を辿りそうな議論ですが、「暴力の影響力」を観客に考えさせたいこの映画に関して言えば、『曖昧な描写』の方が正しい(効果がある)と私は思います。 こういう有意義な議論に発展するのは元発言者として大変嬉しいです。 私ももっとちゃんと参加したい……でも、まずいことに細かい点についての記憶がだんだん風化してきてしまっているうえに、比較の対象として適当な他の映画が今のところ具体的に思いつかないので、私自身はこれ以上実のある議論ができそうもありません。 といって、この映画にもういっぺん1800円払うのは……ううううう、ちょっと苦しい。 レンタルDVDが出たら必ず再見してもっと論点を整理して書き込みますね(つまり、いまだに納得できてないってことなの)。 たった今鑑賞したばかりです。 私の思うに、セレステは、警察の調査内容などは、当然知りえなかった。 通常、調査中の内容は極秘ですから、デイブを警察が容疑者として認めなかった事実を、セレステは知らずに、夫の異常と思われる言動に動揺して、ケイティーを殺したのは、夫であると混乱した頭の状態で決め付けてしまった。 彼女が、ジミーにその事を打ち明けた動機は、理解しにくいのですが、娘を殺されたジミーに対して自分の夫の罪を告白したかったのでしょうか。 ここだけは、無理があるように思いました。 デイブは、いったん警察に疑われますが、容疑は確定されず、拳銃と通報の録音に焦点が枝分かれしていきます。 そんな事はジミーの知る由もなく、川沿いでの全く意味のない決め付けによる問い詰めにより、なぜか最後にデイブは、やっていないケイティー殺しを認めてしまいます。 ジミーは、白状すれば殺さないと言っていましたが、ジミーを良く知るデイブは、どう話しても殺されると判断したのでしょう。 そして、ジミーの思いがこれで済むなら良いだろう(真犯人が捕まる確信を彼は持ち得なかった)と。 また結果的に一人の人間を殺害している事は事実としてかれの脳裏に焼き付いており、死を覚悟するに至って、うそをついた。 結論として、デイブを疑ったのは妻のセレステだけであり彼女以外の人は誰も彼を疑ったりしてはいないのではないでしょうか。 娘を殺され復讐の心がみなぎっていたジミーには、正常な判断力がなかった。 それが、あんな救いようのない結末へとなってしまった。 その様に、私は考えます。 パレードのシーンは、ジミーがショーンに対して、逮捕してくれてOKだの意味に私は取りました。 失礼いたしました。 返信を投稿• せりふやシーンのすみずみまですべてを記憶しているわけではないので、間違いがありましたらぜひご指摘くださいませ。 デイブがその悲劇を乗り越えてハイスクールでは野球選手として活躍し、貧しくても堅実な家庭を築いて、ひとり息子のよき父親であることも皆知っています。 乗り越えはしたものの、何かを諦めたようなうつろな目をして、悄然とした背中を見せていることも。 ケイティーは銃殺されてます。 もしも彼女がレイプされていたり、遺体を異常な形で傷められたりしていたのなら、「もしかしてアイツが?」と街の人が疑ってもしかたないかもね。 しかし彼女は顔見知りの者に、いきあたりばったりのような形で銃殺された。 となると、凶器はどこから出てきたのか? 真犯人の追及も、この銃が決め手となりましたよね。 だけどデイブの周辺には銃の影がみじんも見えません。 ここらへん、もしかしたら私の記憶違いかもしれませんが、デイブが銃を持っているという描写はどこにもなかったですよね? ケイティーが護身用に隠し持っている、なんて伏線もなかったし。 デイブの生活環境および性格の描写を見ると、彼が簡単に銃を調達できるような人間とはどうしても思えません。 しかもあの街の裏社会はジミーが仕切っているのです。 私がセレステの立場に立って夫を疑ったとしたら、その疑惑を打ち明ける相手は警察であって、断じて被害者の父親なんかじゃない。 打ち明けるどころか、被害者の遺族に近づくことさえ恐ろしくなるものじゃないでしょうか。 何らかの理由があって警察に口をつぐんだとするならば、私だったら子供をつれて雲隠れしますよ。 彼女は殺人犯かもしれない夫を、裏の力のあるジミーに隠密裏に消してほしかったんだろうか? ならば、もう少し彼女のしたたかさを綿密に描いてもらわないと説得力に乏しい。 ローラ・リニーはマクベス夫人ばりのラストシーンに至る前にも、なんとなく腹に一物ありそうな雰囲気をただよわせていましたが、マーシャ・ゲイ・ハーデンにはそういう感じはなく、セレステの苦悩はよく表現できていたけれど、夫を裏切るに至る心の動きが私には納得できなくて、いまいち高く評価する気になれないのです。 だいたい彼女はデイブの過去をどれほど知っていたのか? デイブ本人が妻に話していなかったことは確かですが、街のみんなが知っていることを全然察することもできないなんてこと、あるだろうか? 察していて、そのことをきちんと話してくれない夫にもともと不信感を持っていたのかな。 だったらそういう描写を映画の前半部分にさりげなく仕込んでおく必要があると思うのですがね。 まったく知らなかったのだとすると、なおさら彼女が夫を疑う理由がわからない。

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